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サッカーの神様 子供たちが遊びの中で自由にボールを蹴ることの重要性を考えてきましたが、それだけではサッカーが世界中の大人や子供を夢中にさせている理由がわかりません。サッカーをやる者としては、「なぜ、そんなに面白いの」と聞かれても、どう答えていいのか困ってしまいます。「とにかく、ボールを蹴ってごらん、おもしろいよ」というのが精一杯ではないでしょうか。私はそれでいいと思っているのですが、変な理屈をつけなくても。 ボールを使用する遊び(ゲーム)の誕生は、そのまま人類の文明の発祥の時代にまで遡ることが出来るようだ。古代メソポタミアでは、馬に乗った男達が棒で球体を打ち、ゴールまで運ぶ(現在のポロ、日本では打毬として古来より伝わる)ゲームがすでに行われている。東方の古代中国では「蹴鞠(しゅうきく)」と呼ばれるボールゲームが行なわれており、それぞれが発祥の地ではないかとも考えられている。 蹴鞠(けまり)は日本に伝わり、タイではセパタクロー(旧式はネットがなく蹴鞠様式)になって伝わり、お隣り韓国でもお正月にチェギ(羽子)チャギ(蹴り)という遊びがあるらしい。 アメリカ大陸でも、インディアンがマス・フットボール(古いFootball形式)を行なっていた報告があり、南米インカ帝国でも、捕虜の頭蓋骨を蹴って遊ぶゲームが行われていたことが、壁画から推測されるという。これらの遊びは千年以上も前から面々と続けられているのである。 サッカーの歴史を覗いてみると、13世紀のイングランドではサッカーとラグビーがまだ分化していない集団が二手に分かれてボールを取り合い蹴り合いして町や野を若者がボールを追いかけていた。それが19世紀の半ばまでには、ほとんどすべての地域社会がそれぞれに違ったルールで競技をしていたという。そして広くパブリックスクールで行なわれ、労働者階層ではクラブも結成されるまでにいたる。期は熟していた。 1863年に、首都の一部のクラブが会合して、規則を作成することに成功して、蹴球協会を結成した。このときのルールが現在のサッカー競技式の手の使用を禁止することと、相手を掴んだり押し倒したり足を掛けて倒すことを禁止することを決めた。近代サッカーは以後世界各地へと波及していく。(フットボールの社会史 岩波新書) 現代のサッカー競技を思い浮かべていろいろ考えると、私たちはほんの100年前に伝わった新しいスポーツを題材にしなければなりませんが、ボールと遊ぶ人間と範囲を広げれば、そこには日本もイングランドもない、悠久の歴史をどうしても感じざるを得ません。 おそらく、蹴鞠で地上に落とさずにより多く蹴ることが神の祝福であり、幸福をもたらすことを予感し、集団が相手に勝つことは、その集団の上に豊穣なり至福をもたらすという、古来からの祭儀と遊戯の関係における心理が現代の人間に遺伝的に踏襲されでいるのではないでしょうか。 考えてみれば年に一度のお祭りが、民衆にとっては次のお祭りまでの一年間の生きる糧となる、エネルギーを神様からもらっていると感じられないでしょうか。 ただし、1863年以来、サッカーをはじめとするスポーツ自身に祭儀的なものがなくなり、選手の勝利は大なり小なり富や名誉を獲得し、オリンピックやワールドカップはナショナリズムの喚起という物理的、精神的な昂揚が現代スポーツの意義にとって変わったと私は考えます。 人間が自然を捨てて近代都市を築き、交通や通信の発達で人々の土地への定着が希薄になりました。そこに住む人々の結びつきも薄くなり、自然から受ける恩恵も少なくなります。 結局、私たちのよりどころは手にすることができる物と、社会がどんなに私たちに理不尽であっても人間社会に頼らざるを得ないのです。以外に現代サッカーが置き去りにしたものは、大切な忘れ物のような気がします。 私はサッカーを35年間やっていて、少しずつ「サッカーはおもしろいよ」という言葉がわかってきました。ボールが神の化身とすれば、試合をする前にボールは勝負の行方はわかっているのです。 これは自然のことなのです。私のチームが勝ったらそれで良しとする。今までの苦労が報われて、満足感に浸れる。負けることは己の至らなさを痛感します。ボールは常にこの二つを教えてくれるのです。ボールは私たちの実力をよくわかっているのです。しかし最も大事なことを、勝ったチームに「もっと練習をしなさいよ」とささやいて、負けたチームには「勝つための知恵をさずけましたよ」とささやいているように思えてきたのです。 こういう声が聞こえてくると「サッカーはおもしろいね」と実感します。私はフットサルの大会を開いて勝敗を楽しみました。その中のチームの選手が私に言いました。 「いままで、サッカーをやってきて負け知らずでしたが、どうも納得ができなくて、つまらなかった。この大会で負けたけれど、ほんとにおもしろかった。いままでのサッカーは何だったんだろうとつくづく思いました。」 私はその選手のサッカーの取り組みがどうだったかは聞きませんでしたが、明らかに彼はボールに心をよせて、その声を聞いたと思いました。 私たちのこころの中にある素朴な信仰心は意外と自然の声を聞きとります。大人になって社会の雑音が体に染み付いたような者にでも、ボールは語り掛けてきます。まして、純粋無垢な子供には、ボールの声がすぐ届くはずです。 サッカーが遊びだということを大人も理解しないとならない。サッカーから遊びの要素を取ってしまえば、ただ、技術の巧拙や戦術の良し悪しだけでゲームに参加することになり、やってる人はつまらなくなることは明らかだ。つまり、サッカーというものはボールの取り合いであり、ボールに対しての思い入れのゲームではないか。草サッカーは息抜きの場であり、集まる人の目的はそれぞれ違っても、人間関係や個人の資質を問うゲームではない。 天才児たちの迷走 小学生年代(現在はUnder12と表現している、以後U12と表記。)はまだ発育の遅早の個人差が大きく、体格に関しては同じ年齢でも大人と子供程の格差が見られる。全般的な運動能力にも個人差は顕著で、ボールに触れた年数や頻度などを加味して考えると、試合で彼らが為し得るボールコントロールや戦術的な技術、サッカーの試合中におけるプレーを、そのまま、個人の能力評価として決定するには無理がある。U12段階で達成度や到達点を選手全般に設定する指導方法はいかがなものか。 私が推測するに、この指導法が肯定され受け入れられたのは、1970年代、ブラジルのペレ引退後、リヌス・ミケルス監督率いるオランダのトータルサッカーが全世界を驚かせたことにはじまる。ミケルスは本拠地アヤックスでU12から英才教育システムを作り上げ、ヨハン・クライフという天才を排出した。王様ペレの次代は皇帝ベッケンバウアーと救世主クライフの時代になった。ミケルスの英才教育の申し子たちとバスケットボール競技を彷彿とさせるオランダのトータルサッカーは時代の主流となった。 しかし、次々に排出されるオランダの天才児たちは、後続の監督の手に余るもので(監督批判や途中帰国など)、とうとう現在に至るまでオランダの有り余る才能は世界を制覇できなかった。かのヨハン・クライフは、オランダの将来を考えてユースセクション、若手育成に何が必要かという問いに対し、「ストリートサッカー」の復活を挙げたそうである。 戻る 次へ |