エイジンのサッカーノートU    

 良質な試合

烏川リーグ

 私はかなり前から少年サッカーの試合はもっと軽くするべきだと考えていた。何がハードかといえば、公式試合の精神的な重圧が知らず知らずのうちに、かなり負担になっているのではないか。毎月のように何かしらの大会が行なわれ、それに備えていると、ほとんど毎日が気の抜けないサッカーになってしまわないだろうか。
 確かに子どもにとって試合が一番勉強にはなるのだが、ものには限度がある。5年生になってから1年半以上も、緊張と重圧の中でサッカーをやっていれば、上達はするがサッカーの楽しい部分はほとんど経験できないのではないか。そういうチームの子供の顔は選手というよりも戦士のそれになっている。ゴムのようにしなやかな精神が思いっきり引っ張られたままいつまで持つか、考えただけでも胸が悪くなってくる。
 サッカーというものは長い年月をかけて、多くの技術を獲得していくものだ。それは成人になっても続くものでなければならない。早いうちから戦士然となって勝負にこだわってばかりいれば、少年時代に覚えなければならない技術をおろそかにしてしまう恐れが大いにある。
 その技術とはなにか、その選手独特の間(ま)、リズム、発想、これこそがサッカーの最大の楽しみであり、この時期にしか獲得できないものなのだ。少年はボールを操りながらこれらを自分の物にして行く。何度も何度も失敗しながら、目に見えないような速度で上達している。
 まったく残念なのは若い選手を指導する者が教え魔たちだということ、選手の持っている個性を嗅ぎ分ける力もないし、当然それらを伸ばす力も不足している。その理由は若い選手に求めているものが選手としてのプレーではなく戦士のそれだからである。

 わたしは、私の考えに賛同してくれたチームの人と話し合い、1日を気軽に楽しめる試合をやろうということになり、根小屋グランドで烏川リーグを開催した。
 最初はとなりのチームと、年に数回の定期戦ということで行なった。競技方法は、とにかく全員が出場できるように、低学年、中学年、高学年と3チーム編成にして、3試合行なうことにした。人数が不足した場合は5年生までは助っ人になれるが、6年生は最終試合しか出られないようにした。そして、3試合の総合得点で勝敗を決めた。
 これはおもしろかった。ちびちゃんから6年生までの技術の変化が目の当たりにでき、父兄の応援も真剣ではあるが、両チーム和気あいあいであった。ベンチは子どものプレーに目を細めるばかりだ。しかし、最終のトップチームはやはり勝負にこだわった。下級生の試合いかんでは点差がついてしまい、その分をとり返さなければならず、選手はかなり真剣になったものだ。上級生のプライドはすさまじく、両者自分の持っているものの全てを出し尽くしていたのではないか。成功だと私は思った。大会の重苦しい重圧はないし、ベンチの殺伐とした雰囲気も無かった。終って御弁当を食べたら時間も丁度よかった。相手の監督のオオサワさんが言った。
「おもしろかったね、こどもも真剣だったよ」

「子どもなりに勝ちたいんですよね」

私も楽しかった。

「こういうのをつづけたいね」

とオオサワさんは嬉々として話した。

 この試合が周辺にもれ伝わり、次ぎの年には1チーム増え、2チーム増えて、最終的に10チームの参加になってしまった。そうなると、普段の大会と同じような形式でないと試合がまわせなくなった。とうとう監督会議が開かれ、多数決で参加費徴収とトロフィーまでつくることになった。

「ナカムラさん、これだけのチームが集まればもりあがるよ」
と、あるチームの父兄監督は言った。

「私が期待しているのは選手が伸び伸びできるかどうかなんだ」 
と答えるのが精一杯だった。

みな私の考えに賛同したはずなのに、結局順位争そいのためにベンチは殺伐となり、監督からは罵声はとぶやらでこのリーグの意味がなくなってしまった。
 烏川リーグの途中で、オオサワさんが私に耳打ちした。

「ナカムラさん、これじゃあいつもの大会と同じだよ、ちっともおもしろくないよ」

私は何と答えていいかわからなかった。
「そうですね」

 私はかなり落ちこんだ。みんなが賛同してくれたのに、結局いつもと変わらないことをやってしまう磁石のような力は、いかんともしがたい壁と受け止めざるを得なっかった。
 こんなことを年2回行なったが、次ぎの年には山名FCは出場を辞退した。それからすぐにこのリーグも裁ち切れになった。10年前のことである。

 少年がサッカーをやるきっかけは、テレビの影響が大きい。山名FCの場合はその他に友達が誘ったり、練習を見てやりたいと思って参加してくる。他のチームもだいたい同じ経過だと思うのだが、我がチームは小学校終了まで十分にボールで遊ぶことを主眼にしている。試合のための練習はしない。ここが他のチームと異なっているところだ。
 
 先ほど書いたように、その選手独特の間(ま)、リズム、発想がいかに出てくるかが重要なポイントになる。私はそれらをまとめて子どもの技術と呼んでいる。練習はほとんどボールリフティングとミニゲームばかりであるが、練習中にその技術が表に出ているかいないかを常に見ている。出ている子はだいたい基礎はできていると判断して良い。出ていない子は引っ込み思案だったり、自信が持てていなかったり、おっちょこちょいだったりして、ボールに対して意識が定まってないように思われる。本人はそれでも仲間と遊びながら子どもの技術を暖めてはいるのだ。やろうとしているのだが上手くいかないと言った方が的を得ているかもしれない。

 ここが最も重要なところだ。指導者はこの上手くいかない子どもたちをしっかり受け止める。短気を起こさずに気を長くして待ってやらなければならない。また表面上の上手い下手に惑わされてもいけない。体格や体力だけの安易な自信だけで、子どもの技術が本当に身についているのかも見定めなければならない。この作業が子どもの将来を決めてしまうくらい重要なものだ。子どもが何をしようとして動いているのか、逆に全く動かない子は何をしようとしているのか、それを指導者が理解できなければ、選手と監督のコミュニケーションはとれない。つまりは一方通行の指導に終ってしまう。例え正しい助言であっても、その選手に適切かどうかうかがい知れない。
 
 私は技術を表現している子には、OKサインを出す。出し切れていない子には、
「もうすこし」
「もうちょい」
とサインを出す。ただそれだけだ。
 残念ながら6年生最後まで技術を出せない子も多い。しかし、
「よくがんばったよ」
そして、その子の特徴をよい点として送る言葉にしている。

 大人でも同じ事だが、自分の判断で行なった仕事が順調にいった時など、とてもいい気分だ。ところが、上司や仲間が何の反応もしなければ、かなり気落ちしないだろうか。それが目利きの上司だと
「ナカムラ君のおかげでいい仕事ができたよ」と一言あれば、次ぎもがんばろうという気にもなってくる。

 子どももコーチや仲間に誉められたいのだ。自分の意図したプレーがうまくいった時など得意満面の笑顔がそう言っている。
 私は子どもが自信過剰にならないように、また、自信喪失にならないようにしっかり彼らのプレーを見るようにしている。またフォローするように努めている。できないことや失敗に対しての叱責は子どもの芽を積んでいると認識すること。ああしろこうしろという指示は子どものやる気を奪っていると理解すること。毎年毎年ちがう子どもを相手にするのだから、誉めるタイミング、適切な助言のタイミングもそれぞれ異なる。指導者になるのなら、そのタイミングと方法を探すのが役目としなければならない。

 監督やコーチは選手に対しての深い観察によって、また彼らの持っている力を把握することによって、始めて試合での指示が生きてくる。試合こそ監督の本領発揮の場と心得たい。適材適所、信頼感、すべて監督が指揮するのである。勝ち負けも大事だけれども、それぞれの選手独特の間(ま)、リズム、発想が試合で発揮されているか、監督の采配がここで試されている。

 本格的なトレーニングは中学生になってからでいい。戦術もそれからのほうが受け入れやすい。子どもの頃から頭でっかちになると、先入観や偏見で修正がきかない。

 見事に烏川リーグは失敗したが、周りで変な指導をやられて、自分のチームがガタガタになるよりは、消滅したほうがよかった。本大会の殺伐とした雰囲気は致し方ないのだろう。せめて我がチームは明るい雰囲気で、軽い気持ちで楽しんで来いと子どもを送り出してやりたい。

 やりがいのあるチームも多い。すなわち、相手指導者が同じような気持ちを持っていれば、試合が白熱して感動すら覚える。勝っても負けても満足感でいっぱいの試合になる。監督はそういう良質な試合を演出したいものだ。

フットサルとソサイチ

 1996年、国際サッカー連盟(FIFA)がフットサルを正式に統括した。それまでは、ミニサッカーとして細々と普及はしていたが、ルールが曖昧で広く行われるまでになっていなかった。私は新島時代からサロンフットボール風を行なっていったが、フットサルになってすぐに跳びついた。

 それまで、山名の社会人チームの山名クラブには体育館でサロンをやらせていたが、どうしても私のイメージが伝わらなかった。
「もっとボールに神経を集中させろ」
「もっとボールを大事にしろ」
と口をすっぱくして言っても攻撃を急いでしまい、昔のセルジオ越後に対する私達の大学チームのような試合運びになってしまう。終いには、うるさいおやじだな位にしか思われなくなってしまった。

 この原因は少年時代からストリートサッカー(フットサル)を徹底してやっていなかったことにある。大きなグランドで試合(サッカー)をすると、どうしてもスピード重視になってしまう。多少技術的な面を疎かにしても、早く相手ゴール前に殺到してしまえば安心だ。この心理は繊細なボールコントロールを失わせ、その選手独特の間(ま)、リズム、発想までも否定されてしまうことになった。とはいえ山名クラブは社会人チームの中では、まだそういう技術はあるほうなのだ。

 この事実を見ただけで、どれくらい少年サッカーの経験の違いで、成人になるとまったくちがうサッカーをやっているのかがわかる。そして、そのままJリーグまで行ってしまうのである。現在日本は強くなったと言われているが、Jリーグを見る限り私は否定的だ。ただ、昔と違うのは個性を持った選手が海外から評価され、海外で活躍するようになったことだ。昔もそういう選手は沢山いたが、日本人監督の元で評価されずに消えていったにすぎない。中田選手、中村俊輔、小野選手、稲本選手などは日本リーグ時代に生まれていれば、どうなっていたか考えただけでも恐ろしい。

 閑話休題、私は7年前からフットサルに全力を注いだ。審判では関東社会人大会に行き、大泉のブラジルフットサルセンターに招かれ笛を吹いた。また、根小屋グランドや地元中学の体育館に日系ブラジル人チームを招いて試合もした。また根小屋グランドのテニスコート(設置以来駐車場になっていた)を改修してフットサルコートを作った。

 最も大きな成果は山名FCの練習をフットサルに前面的に変えたことだった。私がブラジル人のプレーを一生懸命教えるよりも、フットサルをやらせておけば、自然に素晴らしいプレーをするようになったことだ。

 そしてもうひとつ、6年生になったらソサイチ(7人制サッカー)をやれせることが、彼らの体力に合致して、練習にも熱が入ってきた。何よりもストリートサッカーが天然芝(雑草)でやれるのだから、最高の環境ではないかと自負している。試合になかなか勝てないかも知れないが、そんなことは問題じゃない。何よりもサッカーを楽しくやれる場所があればいい。

中学生との交流

 私は少年達にサッカーを強要しているのではない。中学生になったらやりたいスポーツをどんどんやって欲しいと思う。ボールで遊ぶことが心身の発達に良いという前提のもとで、私のできる限りのことをしているだけなのだ。
 小学校時代のサッカーは楽しかった。山名FCのサッカーは楽しかった。このことだけで私の役目は終る。そういう思いを持って成長してくれれば、山名FCのサッカーは報われると思う。

 中学の体育館で20年間ミニサッカーをやり、フットサルをはじめて7年経つが、今の中学生は毎週日曜日の晩に体育館に来て、高校生や大人に混じり、私が若い頃どうしても解らなかったこと、
「どうしてブラジル人はサッカーが上手なのか」という疑問に答えを出してくれている。
自分ではとうとう出来なかったことを、彼らが私の目の前であたかもブラジル人のようにプレーしているではないか。

 私はグランドづくりや審判活動でほとんど指導らしい指導ができなかった。まだまだそれら全てが未完成のままだが、私は体の続く限りつくり続けたい。たとえ明日この体が力尽きようとも。


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